IT日記

Webエンジニアの徒然草

成功が約束された道などない。

成功が約束された道などない。

数多ある自己啓発書も、偉大な経営者や投資家の自伝も、著名な企業の経営分析レポートも、その成功要因を仔細に語っている。それを参考にし、模倣することで同様の成功を収めようとするのは人の性だが、それで成功が確約される訳はない。

例えば、自己の業績を喧伝する起業家は珍しいものではない。たとえ成功率が1%だとしても、千人も起業に挑戦するものがいれば、そのうちの何人かは生き残り、華々しい業績を残すだろう。

しかし、当たり前だがその背後には敗残者の夥しい屍が存在する。ごく一部の成功者はもっともらしい成功の秘訣などを得意げに語るかもしれないが、その成功者たちと同様の行いを敗残者たちもまた行っていたかも知れないのだ。

生存者のみに話を聞いたところで、バイアスのかかった教訓しか得られない。宝くじがまぐれ当たりしただけの人間に当選の秘訣を問うことなど、気休め以外に価値はない。そもそも、いかに資産を築き上げた者であろうと、今後、市場の暴落が起こり破産の憂き目に遭わないとも限らない。過去の業績は将来の成果を約束しない。成功者を成功者たらしめているのは、今この時だけかも知れない。

普段付き合いのある何人かの年収の平均が自分の年収と一致する、などと聞いて富裕層と付き合いを持とうとする人間もいるようだ。しかし、おそらくは、同程度の経済力を持つ者同士でコミュニティが形成されることが多いだけであり、お金持ちと友人になったところで、それだけで当人に稼ぐ力が備わるわけではない。(まあ、気前の良い友人におごってもらうことはできるかも知れないが。)経済力や価値観が類似するからこそ人はつるみ、群れを形成する。相関関係は必ずしも因果関係を意味しない。

人生における意思決定において、寄る辺となるものなど大してないのだ。どの職業に就こうと、どこに住もうと、どんな人間と付き合おうと、幸福は保証されない。単に、 何も選ばないわけにはいかない、というだけに過ぎない。

人生の岐路において信念を持つことは美徳かも知れないが、神ならぬ人の身で真理を見抜くことはできない。一寸先の闇を手探りで進む程度のことしか人間という卑小な生き物にはできないのだ。

 

 

日本脱出計画

日本は少子高齢化だ。そして、日本の社会保障は現役世代の働きで引退世代を支える賦課方式を取っている。つまり、若手であればあるほど、より少ない人数でより多くの老人世代の生活を支える必要が出てくるのだ。そのために年若い者は増税社会保障費の増額といった憂き目にあう。

それだけでなく、日本の雇用習慣はかなり特殊だ。近年はかなり変化が生じているが、未だ年功序列・終身雇用的な価値観を多かれ少なかれ残した人事制度を採っている会社がほどんどである。同僚との苛烈な競争も少なく、会社からの庇護を受けられる制度ではあるが、その引き換えに構成員は会社に服従・隷属を求められる。本来、対等であるはずの労使契約とはかなり違った異端の労働様式が主流の国なのだ。

そうした日本特有の事情を嫌ってか、海外就職・転職が少しずつ注目を集めてきている。特に、ITエンジニアはシリコンバレーの存在するベイエリアの高騰する給与水準を始め、諸外国との労働環境・待遇の違いと相まって、海外就職が有望な選択肢となることも他職種より多い。

テクノロジーは世界共通である。法律や商習慣に左右されてノウハウが変わるビジネスサイドの人間とは違い、エンジニアの専門知識はどこの国であっても変わらず通用する性質のものだ。日本で培ったスキルは他国へ移ったとしても、ほぼそのまま通用する。

ましてや、IT関連のノウハウをインターネットを通じて個人レベルでも発信することが良しとされる文化がソフトウェア業界には存在する。成果物であるソフトウェアですら、無料で中身を公開することが当たり前のように行われている奇特な業界である。ノウハウが世界規模で標準化されている非常に開放的な産業なのだ。

また、他言語圏で働く場合、当たり前だが当該言語を一定程度操る必要が生じる。しかし、ITエンジニアの場合、この言葉の壁は他職種よりも相対的に低い。様々な利害関係者と微妙な言葉の綾にまで気を使ったコミュニケーションが要求される営業職や管理職の人間とは違い、比較的習熟しやすいレベルの言語能力さえあればやっていけるのがその理由である。端的に言って、技術英語は分かりやすい。(英語でなくとも、おそらく事情は同じであろう。)

SIerで中途半端な中間管理職の経験しかないシステムエンジニアならいざ知らず、一定以上の開発能力を有したソフトウェアエンジニアであれば、海外就職はかなり現実的な選択肢である。

とはいえ、本稿はソフトウェアエンジニアに対して海外就職を煽る意図は毛頭ない。

ベイエリア(シリコンバレー)の他、アジアであれば香港、シンガポールあたりがそうした海外就職の目的地になることが多いが、そうした産業の集積地は主に不動産価格の違いにより生活コストが日本よりもかなり高くなる。給与水準の上昇額が費用の増加分を下回るようであれば、渡航を今一度検討し直した方が良い。特に、現在のベイエリアのエンジニアの給与水準はいささかバブルの感がある。現状の給与水準で今後の計画を立てるのは楽観的過ぎるだろう。

また、単に海外就職するというのであれば、生活コストの安い東南アジア辺りに移住し、リモートで日本の仕事をこなすといったアプローチも考えられる。しかし、こうした地域は年々その経済成長に伴い賃金水準・物価水準も増加傾向にある。円建ての収入源しかない場合、収入は変わらないのに生活コストだけは上昇していく、といった状況に陥りかねない。このやり方では、実質賃金は今後ほぼ確実に減少していく。経済発展が著しい地域にただ行くだけで、その恩恵に与れると考えるのは浅はかな人間のすることだ。

この世に楽園は存在しない。

 

実際に渡米してからは、「もう少し続けてみよう」「もう少しやっていけるかも」で、すでに10年以上が過ぎてしまいました。

そして今現在どうかというと、「最高にハッピーというわけでもなければ、特別不幸でもない」というのが正直なところです。

 

 

人工知能狂想曲

ここ数年、人工知能関連の話題が盛り上がっている。

Google人工知能テクノロジーを有するスタートアップを買収した、Facebook人工知能研究所を設立した、などである。

この人工知能ブームの発端となったのは、2012年にトロント大学のヒントン教授が率いるチームが参加した画像認識の正答率を競うコンテストである。ヒントン教授らは深層学習という手法を用い、他の参加者はもちろん、過去の同分野の実績を圧倒するパフォーマンスを叩き出した。そして、この深層学習を画像認識のみならず他の分野に展開する動きが活発になり、深層学習に限らず人工知能全般に注目が集まりだした、というのが事の経緯なのだ。

こうしたブームに便乗し、前述した大企業のみならず、人工知能というバズワードを売り文句にしたいくつかのスタートアップ企業も出現しているようだ。注目されている分野であれば、投資家からも資金を調達しやすかろう。その数が増えるのも当たり前である。

もっとも、学術的な研究成果が出たからといって、それが産業界における実利に結びつくとは限らない。ましてや、前述の深層学習などかなり専門的な手法である。学術的なバックラウンドを持たない単なるエンジニアに使いこなせる代物ではない。その上、画像認識や音声認識など特定領域を除いて、現状、それほど画期的な成果は見られていない。

注目度の割には、さしたる商業的成功は聞こえてこないのが人工知能の実情である。特にベンチャー投資の分野においては、一過性のバブルの様相を呈しているというのが実感だ。人工知能技術を大きな利益にまで結びつける新興企業はおそらくごく少数に過ぎない。

ちなみに、人工知能は過去に期待が集まっては技術的な壁にぶち当たり失望されるという歴史を2度ほど繰り返している。歴史的に狼少年の如き不遇をかこってきた研究分野なのである。冬の時代にも連綿と続いてきた地道な研究成果の上に今があるのだ。

今回は第3次ブームである。そして、そのブームも、こと産業界においては少し成熟してきた感がある。

次のスタートアップ界隈の神輿はFinTechあたりであろうか。内実の有無を問わずに盛り立てるのは、IT業界が虚業と言われる所以にも思える。

 

 

IT業界の変化は別に激しくない。

IT業界は変化が激しいとよく言われる。実際、世界中の個人や企業により、日々多くの製品が開発されている。しかし、その実態は単なる玉石混交であり、既存の類似品を即座に淘汰するほど革新的なものなど滅多に出現しない。

確かに、既存製品が完璧であれば、類似品を新たに作ろうなどというモチベーションは湧き難い。新製品の方が何らかの新機能を備えていたり、特定の領域で比較的高いパフォーマンスを上げたりする傾向があるように思えるのも確かだ。

しかし、多少の洗練が見られたところで、概ねできることは既存製品と大して変わらないことがほとんどである。ある点で秀でている代わりに他を犠牲にするなど、一長一短なこともある。それどころか、開発者の個人的な拘りを反映しただけとしか思えないものも珍しくない。ましてや、新製品が利益に直結するほどの技術的な参入障壁を築く革命となることはまずない。雨後の筍のごとく湧いてくるスマートフォンなど携帯端末の新機種群が良い例だ。

そもそも、先端的なものは、当たり前だが時の試練を経ていない。使用事例が少ないということはそれだけ潜在的な不具合が多い可能性があり、既存製品であれば備えている機能を具備していないなどのリスクが考えられる。

先行者利益を目指す新興企業であれば、そうしたリスクを取ってでも積極的に新しい要素を取り入れる気風は確かにある。しかし、その試みはもちろん功を奏するとは限らない。結果的に成功すれば華々しく喧伝されることも多かろうが、失敗事例は秘匿される傾向にあるものだ。所詮は勝てば官軍、負ければ賊軍というだけの話に過ぎない。

特に、多少の使いやすさや後々の機能追加に資する拡張性を犠牲にしてでも正確にシステムが動作することを望む重厚長大系の産業においては、新規技術の導入はおいそれとは実施されない。ミッションクリティカルと呼ばれる金融機関の基幹システムの一部でCOBOLという化石のようなプログラミング言語が今だ現役で使われているのは、業界でエンジニアを生業とする者には周知の事実だ。

また、もし新たなトレンドが生まれたとしても、未踏領域は過去の良質なソフトウェア群を参考に開拓されることが多い。そして、新製品は過去の反省を踏まえ、開発者にとってより使いやすく洗練されている傾向がある。既存の枯れた製品の概念や考え方が応用できる面も大きく、とりあえず使い方を覚えるのに多大な時間はかからないのが常だ。

川の表面は一見激流かも知れないが、少し潜ってみれば中は案外緩やかなものである。多量の情報を取捨選別するある種の要領の良さは求められるだろうが、ただそれだけの話だ。別に、IT業界に属する者達が特別に学習に長けた超人揃いというわけではない。競争相手も単なる人間なのである。長らく経ってから過去を振り返ってみれば確かに変化はあるだろうが、あくまで漸進的なものに過ぎない。トレンドに変化があるのは、何もIT業界に限った話ではなかろう。

正直、「変化が激しい業界なので余暇をも利用した学習が必要」などと焦らせることで得をする人間と、それに扇動された間抜けによるポジショントークにも見える。

同業者に差をつけるために業務外で研鑽に励むのは個人の勝手だ。また、プライベートでのソフトウェア開発をライフワークとする者もエンジニアには珍しくない。

しかし、それらはあくまで個々人の自由意志によってなされるべきものである。決して雇用主が義務として定めるべきものでも、他人に強制すべきものでもない。

堅実な投資法

少子高齢化、財政難の日本における公的年金制度に懸念が表されているのは今に始まった話ではない。日本の国民年金・厚生年金は過去の積立金の運用益から支払われる積立方式ではなく、現役世代から徴収した金から主に支払われる賦課方式である。

そのため、少子高齢化の歪んだ人口構成においては制度破綻を避けるために、現役世代一人当たりからの徴収額の増加とともに、年金支給開始年齢の引き上げや支給の減額といった措置が取られる。

つまり、今働いている労働者は徴収額が今までより増えるわりには、将来もらえる年金が今より少なくなっているという訳だ。引退後に悠々自適な生活が送れるのは、一部の富裕層を除いてありえない。

紹介図書は、そうした状況への一つの対策を示してくれる。本書で勧めるのはインデックス投資と呼ばれる手法であり、日経平均TOPIXといった株式指標に連動した投資信託へ投資する手法だ。

上記のような株式指標は市場平均とも呼ばれる。インデックス投資は平均に連動させることを目指したものであり、他に比べて大勝ちも大負けもない。また、いったん投資してしまえば他にやることもあまり発生しない。個別の株式を選別するための丹念な銘柄分析も、デイトレーダーよろしく株価や為替のチャートに張り付いて売買を繰り返す手間も不要なのだ。

インデックス投資以外の、能動的に個別株式や不動産・外貨などを選別し、市場平均を超えることを目指す手法はインデックス投資と比してアクティブ投資と呼ばれる。アクティブ投資を行うファンドの6、7割は市場平均に打ち負かされるという。そして、そうしたアクティブファンドの手数料は、そのお粗末な勝率にも関わらずインデックスファンドよりも割高だ。

インデックス投資は無難で面白味もないが、手間もかからず他よりもはるかにマシな手堅い投資手法なのである。

メディアには老後破産、年金破綻などといったセンセーショナルな言葉が並ぶ。しかし、そうした風潮に不安に駆られ、金融機関の営業担当者の口車に乗せられて割高なアクティブ投資や民間の年金保険に金を出す前に、その金融商品が本当に有利なものかはよく考えたほうがいい。

日本の社会保障制度に課題があるのは事実だが、不安を煽って割高な商品を買わせようとするのはマーケティングの常套手段だ。金融機関の営業担当者の目的は利益を出すために顧客から手数料を多く掠めとることであり、彼・彼女らは決して顧客の味方ではない。

もっとも、インデックス投資も決して万能ではない。株というリスクある資産に投資する以上、目減りすることもある。本書でも、年間で、良い時は4割近く利益が出ることもあれば、悪ければ3分の1ほど資産が目減りし、均せば5%ほどの利益が期待できる、と説く。

裏目が出た時のため、当座の生活資金をいくらか別に取っておく必要があるのだ。また、悪い時に3分の1ほど目減りすると言ってもその数字はあくまで目安であり、それ以上に価値が暴落することもあり得なくはない。そして、まともな金利もつかない銀行預金などよりははるかにマシなリターンが期待できるとはいえ、その性質上、一攫千金は望めない。一山当てて早々な引退を目指せるようなものではないのだ。

潤沢な運用資金を有する者でなければ、インデックス投資だけで飯を食うことは難しい。そして、アクティブ投資でインデックス投資に勝るリターンを得ることも、もちろん容易ではない。少額な資産しか持たぬ一般市民は投資などに走るよりも、本業に精を出した方がよほど効果的というのが現実だ。

どの程度の生活水準を望むか次第だが、たとえインデックス投資といえど、単独で老後の生活資金を支えるものには通常なり得ない。定年後も何らかの形態で雇用されて賃金を得る、零細でも良いので独立して利益を生むなどのセカンドキャリアを模索することが、ある意味自分への一番の投資なのだろう。

 

全面改訂 ほったらかし投資術 (朝日新書)

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ITエンジニアの心得

一般的なソフトウェアを作ること自体は、実はそれほど難しくない。ちょっとしたWebサービススマートフォンのアプリをエンジニアが個人で作成して公開することなど珍しいものではなく、それこそ知識のない初心者が一般に出回っている書籍やインターネット上の情報を頼りにとりあえず動くものを作り上げるのも可能だ。

しかし、その難しくないはずのシステム開発のおよそ7割は失敗に終わると言われる。 なぜか。結局、難しいのは作り上げることそのものではなく、そもそも何を作るのかを決定することなのだ。

ソフトウェアは現実の問題を解決するために作られる。重要な要件を顧客自身が把握しているとは限らず、業界の常識として当然とされることなど一々開発側に共有されるとも限らない。潜在的なニーズを掘り出し、微妙な言葉の綾による企画側と開発側の認識のズレを適宜修正していくことは必須だ。

また、技術的な実現性のみを考慮すれば良いわけではない。所定の時間と人手という制約の中で難しいと判断したら、優先度の低い要望を切り落としたり、納期と費用の追加を交渉することも求められる。相手の言うことを唯々諾々と聞いているだけの無能には務まらない。

相手と密なコミュニケーションを取りながら最適解を導く営業的なセンスも必要になるのだ。受託開発において、ただ作るだけではなく、顧客へのコンサルティングにも踏み込むことが求められる所以でもあろう。ただコンピュータを操ることに秀でただけのオタクには担えない、泥臭く属人的な人間相手の商売なのである。曖昧模糊とした人間の自然言語を、杓子定規な人工言語へ翻訳することは決して容易くない。

下記の紹介図書の筆者は裁判所でIT関係の紛争を専門に扱う調停委員だ。実際にシリアスな裁判沙汰になった際に、法律家がどう言った判断基準を持っているかが紹介図書から伺える。これに目を通すことで、最悪の場合に備えて、受託開発の要所でどういった意思決定をすべきか示唆を与えてくれる。主にSIerにおけるシステムエンジニアの仕事に焦点を当てているが、Web系の企業においても受託開発を生業とするのであれば参考にすべき点は多々あろう。

多少の不備があろうと許容範囲内であれば完成とみなす、システム開発は開発側だけではなく発注側との共同作業として顧客にも一定の責任を要求するなど、他の業界から見れば異質と言える考え方が綴られている。開発ベンダーへの丸投げを戒めており、エンジニアでなくとも発注担当者も読む価値がある書籍だ。

もちろん、共同作業であるからこそ、開発側も不足や懸念を顧客に提示し、必要であれば相手にアクションを促すことが求められている。決して、「言われた通りに作ってさえいれば、後は顧客の責任」といったベンダーの怠慢な態度を認めるものではない。

その他、架空の事例を題材に、実際的な開発プロジェクト管理のノウハウについて語られている。全てを実践することは現実的には難しいであろうが、開発組織のマネージャーにとって幾ばくかのヒントにはなるはずだ。

ところで、悲しいかな、実際のSIerの開発現場では書籍中に登場するようなプロジェクト管理用資料や設計書などのドキュメント至上主義に陥り、手間に見合うかどうかを考えない大量の書類作成がなされることも珍しくない。現場を顧みない計画経済によって、時にデタラメに近いような設計書類が形式的に量産される、何と不毛なことか。

 

なぜ、システム開発は必ずモメるのか?  49のトラブルから学ぶプロジェクト管理術

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働く理由は金

働く理由は金だ。やりがいだの社会貢献だの、金銭以外を重視した労働観など欺瞞に満ちた考えに過ぎない。

資産家が幸福とは限らない。早期にリタイアしたところで結局はまた何か労働をして社会参加する者が多い。それは確かにそうかも知れない。

しかし、一定の資産を持つ彼・彼女らは生活費のために働く必要などなく、嫌ならいつでも辞職できる。自分の人生を支配できる者は、生活のために常に一定の労働をせねばならない奴隷とは所詮、違う身分の人間なのである。

十分な資産があるのなら、社会参加が労働の形をとる必要などない。対価として金銭の発生しない趣味やボランティアでもなんでも良い。たとえ金目当ての活動だとしても、生活費というランニングコストを度外視できるなら、短期的な収益は無視できる。自由を手にするためには、金が必要なのだ。

夢や希望などという耳触りの良い言葉では飯は食えない。どれだけやっていて面白かろうが、無給で働き続けられるのは潤沢な資産を持つ現代の貴族身分のみである。

やりがいの見いだせない仕事はない。重要でない仕事など存在しない。そういう意味ではどの仕事も同じはずだ。しかし、現実には、仕事によって報酬の多寡は確かに存在する。

ビジネスはいかに効率良く金を儲けるかが全てだ。所詮は全てマネーゲームに過ぎない。金は唯一の客観的な尺度なのだ。

しかし、世の中にはこうした言説を嫌う人間が一定数いる。金銭に疎い労働者の方が扱いやすいと考える経営側の人間か、単に主義的にアレルギー反応を示す者だ。

前者は理解できる。良し悪しは別にして、本音と建前を使い分けるのはある意味当然であり、経営者と従業員は完全に利害が一致することはない。同等の労働力を有するなら、人件費のかからない者を雇うのは自然なことだ。こうした人間は、建前では金を求めることに批判的でも、腹の中では並みの人間よりよほど金に対する執着が強い場合もある。

理解に苦しむのは後者だ。己が搾取されるだけなら自己責任で勝手に損してくれれば構わないが、この手の人間は時に異なる教義を持つ者に対して攻撃的である。非合理な世論や常識を無批判に自分の考えとしてしまえる人種なのだろう。

そして、醜悪なのは、前者でありながら、後者でもある場合だ。

個人的には、そうした醜悪な人間は年功序列・終身雇用を旨とする日系企業・役所の中高年層に比較的多いように思える。例えば、彼らが面接官の採用面接において、志望動機に金銭欲を挙げても評価は得られない。

外部からの人の流入が極端に少なく、特定の価値観に凝り固まることが多いせいだろうか。個人の利益を度外視して盲目的に組織に忠誠を誓えば、結果的に報われてきた世代でもあろう。

こうした層が一定の権勢を誇る構図になっているのは実に醜く、今更ながら閉塞を感じさせる。

年功序列型の報酬制度のもとでは、相対的に薄給な若手の働きにより中高年層の待遇が支えられている。しかし、残念ながら、経済成長が低迷した現在の日本において、若手が先行世代と同等の利得を上げる見込みはあまりない。